DEATH.

「DEATH.」は、あらゆる職業や立場の人との対話を通して「死」を探求するプロジェクトです。

心肺停止、恩人の死、重なる逮捕。生まれ変わったギャングスタはいま、何を歌うか

ギャングスタラップと呼ばれる音楽ジャンルがある。主に暴力的な日常をテーマにしたラップ・ミュージック。1980年代後半のアメリカ・ハーレムの黒人街が発祥と言われる。

ギャングスタラッパーの日常は危険と隣り合わせだ。ホンモノであればあるほど、死と犯罪の匂いが漂う。愛知県名古屋市を拠点に活動する「Playsson」(本名:ロドリゲス・ペドロ)も、その意味で、ホンモノのギャングスタラッパーの一人と言っていい。

13歳でブラジルから日本へと渡った日系四世。豊田市・保見団地で育ち、17歳でその日常をラップに乗せて歌い始める。鑑別所や少年院を行き来した回数は数知れず。彼のリリックが多くのヒップホップファンを熱狂させるのは、それが実生活を映したリアルだからだ。

しかし2021年、24歳の誕生日を留置場で迎えた「Playsson」は、それまで築き上げた名声を捨てて突如、「Pedro the GodSon」と改名する。ファーストアルバム『Rebirth』に収録された楽曲は、それまでとは大きく作風が変わった。タイトル通り、悪童から音楽家への生まれ変わりを宣言したかのようだ。

たった24年の間に本気で死にかけたことも、身近な人の自死に立ち会ったこともあるという早回しのような半生。その死生観、人生観は、一見するとぼくらのそれとはかけ離れて映る。だからこそなおさら、彼の声に耳を傾ける必要があるように思う。

取材場所は、名古屋の繁華街ど真ん中に位置する、とあるバー。まずは改名の真意を聞くところから対話は始まった。

成り上がるには生まれ変わるしかなかった

——ギャングスタラッパーPlayssonの名は、ファンの間では確かな地位を築きつつあったと思います。なぜこのタイミングで改名を?

Playssonをやめようというのは、それまでも考えていたことで。ただ、その度に別のことを優先して、うやむやになっていたんです。

それが去年の11月に「これはもうマジで変えなあかん」というところまでいって。

——捕まったことがきっかけで?

留置場で24歳になったんすよ。誕生日を中で過ごしたこと自体はそれまでにも何回かあるんですけど、24歳っていうのは、20代前半の終わりじゃないですか。

もう若いって言える歳じゃない。以前であれば「悪ガキ」「若くて気合の入った奴」で済んでいたけど、そろそろ「イタイ奴」だなって。それで「自分はいつまでこんな生活を繰り返しとんのかな」という気持ちになったんです。

留置場には30代にもなって悪さ自慢をしとる奴らがいるけど、自分はそういう奴らのようにはなりたくなかったから。マジでどうにかしなあかんな、と。

——海外には30代でギャングスタラップを歌っている人もたくさんいますよね。どうにかしてそのまま続ける選択肢もあったのでは?

知り合いにもそう言われますね。「Playssonのまま歌って、悪さだけしなけりゃいいんじゃない?」って。でも俺、自分の生活の中にあることしか書けないんすよ。

プラス、曲を出したら、その曲にプライドを持っちゃう。こうやって歌っているんだから、その通りに生きないといかん、という感覚になる。変なループに入ってしまって、そこから抜け出せなくなるんです。

Playssonとペドロ、二つの“人格”をうまく使い分けられればいいんすけど。俺にはそれができない。Playssonが歌っているような人生を24時間、365日生きてきたんで。

——とはいえ、アーティストが名前を変えるってすごいことじゃないですか。2万人弱のフォロワーがいるインスタアカウントを作り直したのだって、普通に考えれば惜しいことのはずで。

正直、リスクっすね。そのままPlayssonとしてやっていれば、どんどん売れたかもしれないわけだから。ペドロでは一生売れない可能性もなくはない。不安っちゃ不安でしたね。

でも、自分の音楽性には自信を持ってますし。それに、Playssonに限界を感じていたところもあったんすよ。

——限界?

一昨年『Real Trap』っていうEPを出したあたりから、いろいろといい方向に状況が変わってきていたんです。

その少し前まで、ギャングスタラップはもう売れないって時期が続いてたと思うんですよ。そこに急に舐達磨(*埼玉県熊谷市を中心に活動するラップグループ)なんかが出てきて、また悪い感じのラップが売れ始めた。

「ようやく俺の出番が来た!」と思って出したのが『Real Trap』で、そうしたらこれが当たった。「これからはこういう感じでいける」「自分の一番得意なかたちでいける!」となって。

でも、その次の年に出した作品が思いのほかうまくいかなかったんです。要するに、悪すぎたんですよ。

——悪すぎた。

『Real Trap』は一般の人が聞いても「悪ガキ」くらいの内容だったと思うんですよね。だから受け入れてもらえた。でも、次の作品はもう「犯罪者」「半グレ」みたいに映ったみたいで。

どこでライブをやっても、来てくれるのは「半グレ」ばっかりになって。一般の人はもう声をかけてくれなくなった。女の子に至ってはもう、全然ダメ。「怖い人」と思って近づいてこない。「印象が悪くなるから」って理由で出演予定だったイベントを突然キャンセルされたり。目に見えていろんな扉が閉まり始めたんです。

裏の世界の人たちに気に入ってもらえる、認めてもらえること自体は嬉しいんですけど。でも、数で言えば一般の人にウケた方がいいに決まってるじゃないですか。もちろん好きでやってることではあるけど、最終的には商売でもあるから。

自分は本当に音楽が好きなんで。音楽がやりたいんです。ギャングを辞めてでも音楽でちゃんと成り上がるのが、やっぱり目標なんで。そのためには、Playssonのままではやりづらいところがあったっすね。

心停止。それでも変わらなかった日常

——徐々にペドロさんの死生観について聞いていきたいんですが、歌詞がリアルなら、相当危険な毎日を過ごしていることになりますね。死にかけたことはないんですか?

一回心臓が完全に止まったことがありますね。16歳か、17歳くらいの時かな。

地元のギャング同士の抗争で乱闘になったんですよ。最初は俺らが圧倒的にやってやったんですけど、数日経った日の夜にクラブのVIPルームにいたら、報復に来た相手にいきなり後ろから引き倒されて。頭を蹴っ飛ばされ続けてたら、心臓が止まったみたいで。

——本当に死にかけてるじゃないですか!

走馬灯が見えたっすね。ブラジルにいた子供の頃のことがバーっと。一瞬でしたけど。

友達がその場で心臓マッサージをしてくれて、ウッと息を吹き返して。でも“こっち”に帰ってきた時にはもう「(やった奴は)どこだ!」みたいな感じで、戦闘モードに入ってましたね。

結局救急車で運ばれて、その晩は病院に泊まったんですけど。翌朝、鼻も顎も折れてぐしゃぐしゃの顔面を自撮りして、仲間のグループLINEに冗談っぽく「おはよう」って書いて送ったら、それでみんなに火がついちゃって。すぐに相手の情報を調べ上げて「やりにいくぞ!」みたいになって。

その時は最終的に、クラブの人が間に入ってくれて和解したんすけど。そういう人がいなかったら延々と報復合戦が続いていたかもしれないっすね。

——そういう経験をして、ペドロさんの中で変わったものがありましたか?

なかったっすね。へへへ。

そのころはもう、何も考えてなかったんすよ。18歳で少年院に入るまでは、本当に何も。何かあっても「どうせ大丈夫でしょ」っていう甘い考え半分、「死んだら死んだでいいや」みたいな気持ちも半分って感じで。

——普通は恐怖が優りそうなものですけど。ブラジル時代から死が身近にあったからなんでしょうか。どんな環境で生まれ育ったんですか?

ベチンっていうところなんですけど。都会でも田舎でもない、その中間といった感じ。町の部分もあれば、牧場みたいな部分も、スラム街みたいなところもある。俺は町とスラム街の真ん中くらいで育ちました。

いまはわからないすけど、当時のべチンはブラジルで10番目に危ない町って言われてましたね。治安はめちゃくちゃ悪かったっす。

——例えばどんなことが起こる?

俺が小4か小5の時、友達が校長先生の頭に銃を突きつけて「殺すぞ」って脅したりしてましたね。そいつも確か中学1年か2年くらいだったと思うんすけど。

——中学生が……。じゃあ、犯罪で人が殺されたりとかも。

それはもう普通に。ニュースでも銃弾で頭に穴の空いた死体が普通に流れるんですけど、見ても誰も驚かない。「エグい」とかでは全然なくて。「またやっとんな」みたいな反応でしたね。

早すぎる死は、生きたいように生きた結果

13歳で日本に来て、保見団地ってところで暮らし始めたんですけど、そこには悪さを教えてくれる先生のような存在がいて。

俺らよりもだいぶ年上で、その当時もう30歳をすぎてたんじゃないかな。バイクのパクリ方や車上荒らしの仕方とかも、全部そいつに教えてもらった。

俺らは単にバイクを乗り回して好き勝手遊びたいだけだったんすけど、そいつにとっては盗みは仕事で。昼間はずっと家にこもっていて、夜になると毎晩盗みに出る。顔バレしないように、バイクに乗るときは絶対にフルフェイス。

俺らが団地内でバイクを乗り回そうもんなら、ものすごく怒られましたね。「子供が飛び出してきたらどうするんだ」って。

——一般の人には迷惑をかけないように?

いや、日本の警察は滅多なことで本気にならないけど、度を越したらどんなことをしてでも追い詰める。だからそういうヘマだけは絶対にせんようにって。

3年間は毎日ずっと一緒におったっすね。

——その人とはいまだに繋がりがあるんですか?

いや、自殺したんすよ。さっき言ったギャング同士の抗争の少し前、俺が16歳のときです。

しかも、飛び降りるのを目の前で見た。保見団地の、あいつが住んでた棟の屋上から。最後は口笛を吹いて、頭から飛んでいったすね。

——それはどういうことなんでしょう。自分の最後をみんなに見てほしかった?

最後に話題を作りたかったんですよ。あいつの性格的にも。自分のことを覚えておいてもらいたいって感じだったと思う。

警察に追われてるのは自分で知っていて、来たら自殺するってみんなに宣言してたんです。その日、一日中屋上にいるあいつを見て、知らない奴らは「ビビっているんだろう」と言っとったけど。俺らだけは絶対に飛ぶとわかっとった。

ビビっとったとかではなく、話題をでかくするためにずっとタイミングを計っとったんすよ。そうしたら警察も来て、テレビも来て、野次馬もいっぱい来た。それを見て、口笛を吹いて飛んだんです。

——自分の心臓が止まる経験をしても何も変わらなかったとおっしゃってましたけど。身近な人が亡くなったときはどうでしたか? 心を動かされた?

悲しかったっすね。けど、生活は変わらなかった。死に対してそんなに食らうこともなかったです。

だって、いつ死んでもいい生活をしている俺らだから。死ぬような生き方をしているんだから、逝ったときは「そのときが来たか」ということでしかない。自分に対してもそうだし、周りで悪さしている奴らの死に対しても。そういう受け止め方になるっすね。

——死に対して潔いというか。

生き延びるために生きるようなのは嫌なんです。自分のやりたいことのために生きて、その結果、人より早くに死ぬことになったとしても、それはそれで。「いろいろあったけど、好きなことをやって生きてきたからいいか」と思えるような人生を送りたい。

だからラップも絶対に仕事にはしたくないんです。いつまでも遊んで稼いでいる感覚でいたい。会社を経営する、地元を盛り上げる、後輩を育てるっていうのもそう。全部やりたいことだからやれる。やらなきゃいけないと考えたらやれないっすね。

俺らはそういう生き方をしているわけだから。その結果、死んだら死んだでしょうがない。そのときが来たってだけっすね。

経験した人間にしか歌えない歌がある

——「悪ガキ」から「音楽家」へ生まれ変わっても、そういう人生観、死生観は変わらないと。Playsson、つまりは過去の自分について、いま思うのはどんなことですか?

まあ……いい思い出として残ってますね。ここまでも長い道のりだったし。努力して掴んだこともたくさんあるんで。やり遂げたことを誇りには思ってますね。

——過去にしてきた悪いことについては。それも必要なことだったという感じ?

後悔って、しても意味がないと思うんですよ。反省はしても後悔はしないっていうか。失敗も結局、次のチャンスにつながるんで。だからあくまで前向きに。

やったからこそ言えることって、たくさんあると思うんです。シャブをやったことのない奴がいくら「シャブは止めた方がいい」と言っても「お前に俺の気持ちわからんだろ」ってなるけど、やったことのある奴が言えば説得力があるじゃないですか。

俺は曲がりなりにもいろいろ経験してきたんで。これから人に伝える時に、その分だけいろいろと説得力があるかなと思ってますね。

——Godsonとして歌いたいのもそういうこと?

そうすね。音楽には結構影響力があると思ってるんで。俺自身もブラジルで過ごした子供時代にギャングの曲を聴いて、そういう生き方に憧れたりしましたし。

その辺でたむろしているヤンキーの中学生たちに、Playssonの歌を聴いて「こういう風になりたい」とは思ってほしくないんすよ。むしろ「そうはなるなよ」というメッセージを伝えたい。

曲で聴くワル自慢からは、かっこいい部分しか見えてこないじゃないですか。裏の苦労する部分は伝わらない。でも、実際に経験してきた俺にはわかるんで。そんなにかっこいいばかりじゃないってことが、痛いほどわかっている。

だからそれを伝えたいっすね。若い奴らに勘違いさせたくない。悪い道が一番いい道だとは思わせたくないです。

——経験した人間にしか歌えない歌がある、と。

そうっすね。俺には二人の子供がいるんすけど、自分の子供に対しても、知識よりも経験を増やしてほしいと思ってて。

子供を育てるのは確かに親の仕事ですけど、だからと言って、子供のための人生じゃダメだと思うんすよ。自分の人生を犠牲にするようにして、なんでもしてあげようとは思わない。子供には子供の人生があるし、自分で経験することに意味があると思うから。

学校だって、別に行かんでもいいんじゃん?って思います。あんまり人生のことは教えてくれんから。なりたいものがあって、そのために学校の勉強が必要ならやるしかないすけど。そうでないなら、現場で働くとかして、早く自分で稼ぐ力を身につけてほしいと思う。

いつ俺がいなくなるかもわからんし。人生は自分の手で掴むものだと思うから。

——ご自身は悪いことを実際に経験したことによって、酸いも甘いも学んだとおっしゃっていました。お子さんがそういうものを自分で経験することについてはどう考える?

まあ、しないとわからないんだったら、するしかないっすね。

少年院は、人生で一回くらい行ってみた方がいいかもしれないです。いい経験だし、成長はできる。必要ない奴だったら、そりゃあ行かんに越したことはないすけど。やんちゃばっかりの中学生活なら、高校より少年院の方がいい勉強になるかもしれないっすよ。

ラッパー

ロドリゲス・ペドロ

1997年ブラジル生まれ。2011年に来日し、愛知県豊田市保見団地に住する。日本語とポルトガル語を駆使したバイリンガルなフロウを武器に一躍話題となるも、 2022年6月、長年のMCネームである『Playsson』から『Pedro the GodSon』へ改名。同月にはGodSon名義では初となるアルバム『Rebirth』をリリース。現在は名古屋市を中心に、精力的な活動を続ける。

instagram:@godson_whr

写真:本永創太

執筆:鈴木陸夫

編集:日向コイケ(Huuuu)

取材協力:SoundBar emanon

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