DEATH.

「DEATH.」は、あらゆる職業や立場の人との対話を通して「死」を探求するプロジェクトです。

太平記から平家物語、そして古事記へ。古典を遡った先に「死」は存在しなかった

DEATH. 6本目の取材テーマは「古典の中の死」。きっかけは、能楽師・安田登さんによる一連のツイートを目にしたことだった。

安田さん曰く、古典における死の描かれ方は一定ではない。「死が身近になった時期には死についての新しい考え方が出る」という。そうだとすれば、コロナ禍を生きるぼくらの死生観も、まさにいま変わろうとするタイミングを迎えているのかもしれない。

安田さんは日頃、著書や講演を通じて、古典を学ぶことの意義を説いてもいる。このテーマで話を聞けば、生と死を覆う昨今のモヤモヤは晴れ、いくばくかでも視界が開けるに違いない。そんな予感が、ぼくらにはあった。

約束の10分前に指定された取材場所に着く。着物姿の凛とした背中が見えた。いましがた別の取材を終えたところで、そのテーマは「メタバース」というから、振り幅の大きさに驚く。

古典か、先端テクノロジーかという安易な二項対立は意味をなさないのだろう。安田さんの話は時代を超え、洋の東西を超えて、縦横無尽に飛び回る。ぼくらはついていくのに必死だ。

元国語教師でもある安田さんは、そんな劣等生たるぼくらを少しも見捨てることなく、都度ノートを開き、時に図を用いて、丁寧に解説してくれた。そんな1時間半の贅沢な“講義録”を、これから皆さんにも共有したい。

法然上人の偉大なる発見

——「『平家物語』と『太平記』とで死の描かれ方が異なる」というツイートを見て、今日は「古典の中の死」をテーマにお話を聞きに来ました。両作品で、死の描かれ方はどのように変化しているのですか?

まず「平家物語」からお話ししますね。「平家物語」が描いた平安末期から鎌倉に入る時代には、「死」に関して日本思想史上の驚くべき発見がありました。

それは「念仏」です。

もちろん、念仏そのものは以前からあったもの。しかし、浄土宗を開いた法然(ほうねん)上人がそれを「唱えればどんな人でも浄土に往生できる、すなわち極楽浄土へ行ける」と読み替えたことにより、すごいことが起きたんです。

それまで、人は死んだら地獄や餓鬼、畜生道などの六道を輪廻し続けるか、そこから抜けて成仏できるかの二択しかありませんでした。成仏とは「仏陀(=目覚めた人)」に成ること、すなわち悟りを得て、苦しみにあふれたこの世の束縛から自由になること……なのですが、それは普通の人には難しすぎた。なぜなら、成仏をするためにはとても厳しい修行が必要だからです。

たとえば戒律の一つに「嘘をついてはいけない」というものがあります。でも人は自分の身を守るためにも、ほかの人を守るためにも嘘をつくもの。現世で嘘をつかないなんて不可能に近いのです。これはその人個人の問題というよりも、人間社会そのものの問題です。

となると、成仏なんてできるわけがない。「来世もまた地獄か」と絶望することになる。でも、お釈迦さまがそんなひどいことをするはずがない。そう思った法然上人が膨大な経典を探した先に見出したのが、「極楽浄土」という場所でした。

極楽浄土はものすごく浄らかで楽しい空間です。嘘をつかなくていいし、人からひどいことをされないので、人にひどいことをし返さなくてもいい。ものを殺さなくても生きていける。そういう浄らかな土地であれば、成仏するためのトレーニングも現実的になるでしょう。

そんな場所に念仏を唱えるだけで行けると法然上人は言っているのです。すごいでしょう?

こうして、死後の世界のリアリティは一気に開かれることになりました。だから「平家物語」では、多くの人が死の直前に念仏を唱えるのです。

ところで、この「念仏によって死後の世界がリアルになった」という話。当時の人にとってどれほど衝撃的なことだったのか、現代を生きる自分たちからすると、よくわからないというのが本音ではないですか?

——そう言われると、そうかもしれません。

これは喩えるなら、「全脳エミュレータが完成した!」くらいの大ニュースだったのです。

全脳エミュレータというのは、脳のすべてをコンピュータの中に入れてしまうという技術。仮に全脳エミュレータが完成したら、人に意識の死はなくなることになりますね。

さらにジェミノイド、すなわちアンドロイドのすごいやつを用意して、その中にエミュレータを入れてしまえば、身体の死さえもなくなってしまう。まるでSFのような話ですが、これと同じような驚きが当時の人にはあったのではないかと思うのです。

古代日本に永続的な死はなかった

この極楽浄土へ行くための訓練の様子は、大乗仏教経典の一つである『観無量寿経』などに克明に描かれていて、「平家物語」の時代の人たちはみな、これを実践しました。

この訓練は非常にシステマティックなもので、最初は沈み行く太陽を見て、瞼を閉じた後にその太陽をイメージするという練習から始まります。その後も段階を踏んで訓練を積み、最終的に阿弥陀さまが迎えに来てくれるのをイメージできるようにする。こうしたことを通じて、死後の世界のリアリティを増していったのが、この時代だったわけです。

ただ、リアリティが増していったとは言っても、人々の中に浸透し始めたばかりであって、この時点ではまだ十分に身体化されていません。理屈としてはわかっていても、心の奥では「本当かなあ」という気持ちが多くの人の中に残っている。

——ツイッターで触れていた、「平家物語」の中で平氏一門がほとんど自殺をしないというのも、そこと関係している?

おそらくそうでしょうね。間違いなく死後の世界があると信じ切っていれば、自らすすんで命を差し出すといったことがあっても不思議ではありませんが、そういう描写は少ないですから。

そのリアリティが十分に増すのが「太平記」ということになります。

「太平記」は、鎌倉時代の滅亡前夜から室町時代が始まるまでを描いた軍記物語です。「平家物語」の時代からはかなりの時間が経過していますから、その分、死後の世界のイメージが多くの人に定着してきます。

加えて、一度は忘れ去られていた古代日本的な「死」の概念が、ここで顔を出してくる。

——古代日本的な「死」の概念?

正確に言えば、日本的な「しぬ」の概念です。

たとえば「見」という漢字には、音読みの「ケン」とは別に、訓読みの「みる」がありますね。これは中国から入ってきた「見」という漢字に、もともと日本にあった「みる」という概念をあてはめたことを意味しています。

しかし、中には訓読みのない漢字があります。「死」もそのうちの一つ。それはすなわち、この言葉が入ってくる以前の日本に「死」という概念はなかったということです。当時の日本人からすると、「死」と言われてもなんのことを言っているのか理解できなかったはずです。

けれども、当時の日本にもよく似た言葉がありました。それが「しぬ」です。

——「死」はなかったけれど、「しぬ」はあった。

はい。「しぬ」は「死ぬ」ではなかったのです。 訓読みがない漢字を動詞にする場合は、必ず「す」、あるいは「ず」をつけます。高校時代に勉強したサ変動詞ですね。「愛」に「す」をつけて「愛す」。「感」に「ず」をつけて「感ず」。同じように「死」を動詞にするなら「死す」です

「死す」という言葉は、いまでも使いますね。しかし、これは「しぬ」ではない。もともと日本にあった「しぬ」という言葉は、「死す」と音が似ているからごっちゃにしてしまいがちだけれども、本来は別の言葉だったのです。

では「しぬ」とはどういう意味の言葉なのか。民俗学者の折口信夫によれば、これは「植物が枯れてしなしなにある状態」を意味する「萎ぬ(しぬ)」だというのです。しなしなになった植物に水をかければ、活き活きとしますでしょう? だから「しぬ」の反対語は「いく(活く)」です。

「死す」が永続的な死を意味するのに対して、「しぬ」は、水をかければ生まれ変わるというような一時的な死を指しました。つまり、古代日本的な概念には、永続的な死がなかったんですよ。

——なんと!


「古事記」に登場する大国主は、作中なんども殺されますが、その度に生き返ります。その最後の最後、スサノオによって「本当に殺されたか」と思われるシーンでは、わざわざ「死訖」と書いている。「訖」という字は「終わる」と読みますから、「死訖」は「死に終わる」。生まれ変わらない永続的な死を表現するには、わざわざそうしなければならなかったのです。

あわいの時代を生きる

——以前の取材で「植物は不老不死」という話が出てきてすごく驚いたのですが、古代日本においては、人間にも永続的な死はなかったというのは、さらなる驚きでした。

「太平記」の時代には、死後の世界のリアリティがかなり強くなってきたことに加えて、こうした古代日本的な「しぬ」の概念が合流します。そのことにより、人々にとって死がそれほど怖くないものになっていたと考えられるわけです。

その一つの例として、「太平記」に描かれる日野資朝の斬首のシーンを紹介しましょう。彼は死の間際になって詩を読むのですが、そこには「首を将(も)って白刃に当つ」とある。上から振り下ろされる刃に自ら首を当てに行く。死に対する積極性がすごいんです。

また、この頃になると、切腹や刺し違えの描写が多く登場します。みんな簡単に死んじゃう。これもおそらく、死後の世界のリアリティが強くなったことで、自らすすんであちらへ行こうとするということなのだと思います。

このように「平家物語」と「太平記」とでは死の描かれ方がだいぶ変わっています。そのほかにも両作品には違うところがたくさんありますが、共通することもあります。それは、どちらも「あわい」の時代を描いたものだということです。

——「あわい」の時代。

「あわい」という概念は「あいだ」と似ていますが、ちょっと違います。「あいだ」がAとBの空いている空間を指すのに対して、「あわい」は「合う」を語源とし、図で言うところの、AとBの重なった部分を意味します。

「平家物語」が描かれた平安末期から鎌倉に入る時代は、貴族の世界だったものが、武家の世界に移り変わるとき。その両方の価値観が入り混じっている。平家の人たちというのはそれ自体が、両方の価値観が重なった「あわい」の存在です。

一方、「太平記」ではもともと武家の世界だったところに後醍醐天皇やその側近という天皇や公家が入ってくる。そして、ついには朝廷が二つできてしまうという、日本史上最大の「あわい」の時代です。

「あわい」の時代には、二つ以上の価値観が互いに譲り合わずに並立するわけですから、世の中は不安定になります。そして、そんな時代には、人々の死生観も大きく変わります。しかし、これは昔に限った話ではありません。現代もまた「あわい」の時代と言えるのではないかと思うのです。

——現代も。

たとえば、新型コロナウイルスの蔓延以降、わざわざ会社に行かなくてもよいのでは?と気づいた人たちがいるでしょう。Appleなどでは、「会社に来い」などと言おうものなら、人が辞めてしまうほどという。しかし一方には、それでも絶対に会社に来いと言う人たちもいる。この二つの価値観がいま、重なっていますよね?

死に関してもそうです。コロナ禍で死が身近になったことで、それを怖いと思う人もいれば、逆にわりと気軽に受け入れられるという人もいる。本気で全脳エミュレータを進めている人もいれば、ハーバード大学のデビッド・シンクレア教授が「若返りの薬」の開発に成功したなんてニュースもあった。

このように、現代は死の概念が再び変わりつつある時代ではないかと思うのです。この先どうなるかはまだわかりませんが、さまざまなことが蠢いている。これぞ「あわい」の時代です。私はこのことをとても面白いなあと思って見ているんです。

古典のすごさは「変わらないこと」

——いま、「あわい」の時代を生きることを面白いとおっしゃいましたが、同じことを不安に思っている人もいますよね。古典を学ぶことは、そうした人たちにとってどのような助けになりますか?

古典のすごさの一つは、いまに至るまで読まれ続けていること、それ自体にあります。いまあるもので、600年後まで続くものがどれだけあるかと想像してみれば、そのすごさがわかるのではないでしょうか。

しかも、古典のほとんどが、長い歴史のどこかで必ずと言っていいほど迫害を受けています。たとえば、江戸時代までの能は、平曲、幸若舞と並び、幕府の式曲として重視されてきました。ところが時代が明治に移り、幕府がなくなったことにより、後の二つはほとんどなくなってしまう。能もそれと同じように、なくなって不思議ない運命にあったのです。

にも関わらずいまに至るまで残っているのには、やはり理由があります。一つは「絶対、存続させよう」という人がいたこと。もう一つは、そこにはなくしてはならない「なにか」があるということです。

そして、これだけ長く残っているということは、その「なにか」はパーソナル(個人的)ではなくコレクティブ(集合的)。場所や時代を超えて普遍的なものを扱っているのが古典なんです。

たとえば「論語」の中で、孔子は「世界を変えるのは君子だ」と言っていますが、「君子」をただ「立派な人」としてしまうのは間違いです。ここで使われている「君」という漢字は「せむし(背中がかがまって弓なりになる病気)」と呼ばれた人の姿を表す「尹(允)」が語源であると言われています。古代中国には、身体的に障害がある人こそが聖人たり得るという伝統がある。そういう人こそが「君子」なのです。

また、イエス・キリストは「貧しい者は幸いである」と言っています。「貧しい者」はギリシャ語で「プトーコス(пτωχοs)」と言いますが、これも実は「君子」と似た屈曲した身体を指しています。弱っていて、ほかの人から足蹴にされるような存在です。天国はそういう人のためにある、とイエスは言っています。

さらには、先ほども少し触れた大国主。大国主は、兄からたくさんの荷物を背負わされてしまいます。あたかも、下校時に友達とのじゃんけんに負けた子が、みんなのランドセルを背負わされるように。そうすると、やはり「尹」や「プトーコス」と同じような格好になる。そんな人が大国主、すなわち国の主になると言っているわけです。

どの話も共通して「世間的に迫害されていたり、弱者と呼ばれている人こそが、すごい人になり得る」と書かれています。

——すごい。全部一緒ですね。

このように、古典が扱っているのは個人の問題ではなく、全人類的な問題です。なおかつそれを物語として見せてくれるのが、古典なのです。

私たちは困難に直面すると、ついついパーソナルな視点で物事を考えてしまいます。でも、深く考える時には、本来コレクティブである必要がある。そんな時に役立つのが、古典だということです。だからこれは「昔の人はこんなふうに考えていたのか」なんていう甘いものではないんです。いつまで経っても変わらないすごさが、古典にはあります。

またこれもよくする話ですが、能は「こころ」より「おもい」を表現する、と言われます。

——「こころ」より「おもい」。

「心変わり」という言葉もあるように、「こころ」というのはころころと変化します。たとえば、昨年までAさんのことが好きと言っていた人が、今年になったらBさんを好きになっていた、というように。けれどもその深層にある「人を好きになる」ということ自体は変わっていないとも言えるでしょう。これが「おもい」です。

私たちが普段感じる、苦しいとか悲しいというのは「こころ」レベルの反応のことが多い。そういったことを酒を飲んで忘れるというのは「こころ」レベルの解決です。しかし、一つの問題が解決しても、すぐ次の問題が現れる。「おもい」レベルで解決しないから、根本的な解決にはならないんです。

では、「おもい」レベルで解決をするとはどういうことなのだろう。そういうところにまで入っていけるのが古典です。なぜなら600年、1000年、あるいは数千年のあいだに、表層の「こころ」的なものはどんどん変化して消えてしまっていますから

変わらない「おもい」が変わるとき

しかし、先ほどから「あわい」の時代と言っているように、いまはこの「おもい」すらも変わるときが近づいているようにも感じるんです。

——えっ? 変わらないはずの「おもい」が変わってしまう?

少し前に「シンギュラリティ」という言葉が流行ったでしょう。これは、いままでの常識をくつがえすような変化が起きる、ある一点をいいます。

Googleのレイ・カーツワイルは、人工知能が人類の脳を凌駕する「テクノロジカル・シンギュラリティ(技術的特異点)」を提唱しました。実際には、彼の予測したようなかたちでの変化は起きないかもしれませんが、シンギュラリティ(特異点)的な変化は、今回のコロナ禍でより近づいた気がしています。

私は、人類は歴史上、何度もシンギュラリティを経験してきたと思っています。その直近のものが「文字の発明」だったと言えるのではないでしょうか。文字が発明されたことにより、人類は時間という概念を獲得した。そして時間の概念を獲得したことにより、「おもい」は生まれたんです。

たとえば、「悲しい」という感情は、時間がないと存在しませんよね? 身近な肉親の死があれほど悲しいのに、赤の他人の死がそこまででないのはなぜか。それは、それまでに同じ時間を共有していないからです。

「後悔」もそう、「不安」もそうです。過去や未来という時間、文字による記憶の定着がなければ、こうしたものは存在しません。

次のシンギュラリティがどんなものかは、まだわかりません。しかし、おそらくはまず文字を超えるなんらかのテクノロジーが生まれるはず。そうすると、人類は時間を超えるなにかを獲得する。そしてそのことにより、「おもい」を超えるなにかが生まれるはずなんです。

その新しいなにかは、おそらくある日突然、私たちの目の前に現れることになるでしょう。

ものごとの変化の仕方には、さまざまなかたちがあります。ゆるゆると変わっていく漸進型。あるときに突然変化する跳躍型。その中間型もあります。

外から見ると変化していないように見えるけれども、内側でゆるゆると変化が進んでいる。そしてそれが飽和点に達したときに、外見も突然変化する。こうしたものを前適応型変化と言います。「あわい」の時代の変化はこれです。

そうした変化のあり方を示してくれているのが、論語の「温故知新」という言葉です。

——昔のことから新しい知識やヒントを得るという意味の、あの?

そうです。「温故」とは、古いものを温めることを言います。そして、古いものとは、たとえばいま私が話していることもすべて含まれる。そういう過去の知見を脳の中でぐつぐつ、ぐつぐつ煮詰めていく。それが「温故」です。

そうすると「知新」が起こるわけですが、実は孔子の時代には「知」という漢字はまだありませんでした。あったのは「矢」だけ。その矢が地面に突き刺さった漢字が「至」。これがおそらく「知」のもとです。すなわち「知」とは、どこかから飛んで来た矢が突然、目の前に出現することをいいます。

一方の「新」は斧で木を切るという意味の字。つまり、古いことをぐつぐつと煮詰めていると、新しい知見や方法がある日突然目の前に現れる。これが温故知新です。

温故知新は、正確には「溫故而知新」と書きます。「溫」の字の上の部分は「囚」。人が囚われている。要するに、鬱々とした状態です。なおかつ、「溫故」と「知新」のあいだには「而」の字が入る。この文字の語源は、巫女の髪や魔術師の髭の形だという人もいます。ですから、これを私は「魔術的時間」と呼んでいる。

要するに、古いことをぐつぐつと温める時間は鬱々として苦しい。しかし、新しいなにかを生み出すには、この時間がとても大切になるということなんです。それがすなわち、「あわい」の時代なのではないかと。

いまは不安を抱えている人が多いし、自殺者も引きこもりもすごく増えていますよね。それは個人の問題であると同時に、社会全体が抱えたコレクティブな不安です。けれどもそれを超えた先に「知新」はやってくる。

いわゆるシンギュラリティ、すなわちAIが知を獲得する未来の話をすると、それによって人間の地位が脅かされることを憂う人がいます。でも、私はこうした議論はあまり意味がないと思っています。

AIが知を獲得したら、人類は知に変わるなにかを獲得すべきなんです。「おもい」に変わるなにかを獲得するというのと同じように、知に変わるなにかを獲得する。それがおそらく、人類に次に求められることなのではないかと思うのです。

能楽師

安田登

1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。 能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。 著書に『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』、シリーズ・コーヒーと一冊『イナンナの冥界下り』(ともにミシマ社)、 『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)、『あわいの時代の『論語』: ヒューマン2.0』(春秋社)など多数。

Twitter@eutonie

HP:http://watowa.net/

写真:本永創太

執筆:鈴木陸夫

編集:日向コイケ(Huuuu)

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