DEATH.

「DEATH.」は、あらゆる職業や立場の人との対話を通して「死」を探求するプロジェクトです。

死にゆく言語をひたすら「記録」。手柄を急がず、可能性は未来につなぐ

吉岡乾さんは、大阪・国立民族学博物館所属のフィールド言語学者。パキスタン北部の山岳地帯で現地調査を繰り返し、消滅危機にある言語の“標本”を続けている。

フィールド言語学、パキスタンの山奥、言語の消滅--。約5000キロも離れた日本で、世界で13番目に話者が多いとされる大言語・日本語を使って日々読み、書き、話している自分からは縁遠いことばかりだ。しかも、吉岡さんはフィールドワークが前提の仕事をしていながら「現地嫌い」を公言している変な人でもある。

好奇心がそそられる。話を聞いてみたい。

というわけで、今回はプロジェクトテーマである人間の死からは一旦少し離れて、「言語の消滅=言語の死」と半ばこじつけるかたちで取材を敢行。言語はどうやって死ぬのか、ある言語が死ぬことで何が起こるのかを吉岡さんに聞きに行った。

ところが、話を聞けば聞くほど「言語の死は人間の死と似ている」と思わされる。

例えば、そもそも言語はいつ死ぬのか、という問題。「消滅危機にある」とする基準・根拠は、思っていたよりもずっとふわっとしたものらしいのだ。どこからを死とするのかは、立場によって変わる。まるで延命治療の是非をめぐる議論みたいじゃないか。

言語の命はどの時点で尽きるのか

——吉岡さんはなくなりそうな言葉の研究をしていると聞いています。言語はどうやってなくなるのか、つまりはどうやって“死ぬ”のか。そして、ある言語が“死ぬ”ときに何が起こるのかを聞きに来ました。

ありがとうございます。でも「なくなりそうな言葉の研究をしている」というのは、ちょっと語弊がありますね。

自分がやっているフィールド言語学は、ある言葉が使われている現場、すなわちフィールドへと調査に行き、地元の人の喋りを見聞きして採集・研究する学問のことです。そうやってマイナーな言語の文法全体を解き明かし、ゆくゆくは文法書を作ることが第一目標になります。

「マイナー」とは「これまであまり研究されてこなかった」という意味であって、必ずしも消滅危機にあるわけではありません。自分がメインで研究しているのは、パキスタン北部の山奥で使われているブルシャスキー語で、その話者は約12万人。若い世代も喋りますし、まだまだなくなりそうにはない状態です。

最初に現地を訪れたのは、いまから約20年前。コロナ禍によりここ2年は行けていませんが、それまでは毎年、ブルシャスキー語の調査のためにパキスタンの山奥に通う日々を送っています。

 調査地の一つである、フンザ谷(撮影:吉岡乾)

ただ、そうやって現地調査を続けていたら、ある年、たまたま隣村でだけひっそりと話されている別の言語があることを知りました。ドマーキ語というのですが、こちらは確かになくなりかけています。

——どんな状況にあるのでしょうか?

村の人口約500人のうち、ドマーキ語を喋れるのは「頑張れば喋れる」人を含めても100人程度。老人世代はいまも喋りますが、若い世代が日常的に使うことはありません。そして、この言語には文字もない。

このままだと近い将来になくなってしまうのではないかと思い調べてみると、近年は誰も研究していなかった。それで、ブルシャスキー語と並行して研究することにしたんです。

ちなみにその後、隣の谷にも、そのまた隣の谷にもほぼ研究がされていない別の言語があることがわかって。いまでは7、8個の言語を研究する羽目になっているのですが……。

——「話者が少ない」「若者世代が使わない」「文字がない」といったあたりが、その言語が消滅危機にあることの根拠になる?

いや、確かにそうなんですが、実はそこまではっきりとした基準はなくてですね。例えばユネスコの基準で言えば、現在2000超の言語が消滅危機にあるとされますが、ブルシャスキー語もそのひとつとしてカウントされてしまっている。

そもそも「話者とは何か」「言語が喋れるとはどういうことか」というのも、考えてみると、そんなに単純な話ではないですよね。母語とする人がいない時点で死んでいると考えることもできれば、母語ではなくとも、話せる人が一人でもいれば生きているという考え方もある。

しかし、話者が一人になった時点で「話せるけどもう使わない」状況になっているわけで、それは生きていると言えるのか、とか。このように、言語がいつ死ぬかというのは、考え方によって判断が分かれるものなんです。

生死を分かつ言語の「経済的価値」

——どこからが「言語の死」かは、人によって捉え方が変わってくる。まるで延命治療の是非をめぐる議論のようで面白いです。ところで、かつて健康だった言語は、どうやって死にゆくものなのでしょうか?

隣接する、より大きな言語に吸収されるかたちでなくなることが多い
です。

例えば、ドマーキ語はもともとドマという民族の言語だからそう呼ばれるのですが、ドマ人はぼくが調査をしている村以外にも、パキスタン北部のさまざまな場所にいまも住んでいます。彼らもみな、昔はドマーキ語を話していたと考えられます。

ドマーキ語を話すことができる若年層の二人(撮影:吉岡乾)

しかし、大きな街の中の集落に住んでいるドマ人は、次第にドマーキ語を手放し、周囲のより大きな言語を喋るようになりました。

よく言語の「経済的価値」などと言われますが、何億人と話せる言葉と何十人としか話せない言葉では、前者を覚えるほうがなにかと有利ですよね。自分の母語は少数言語という人でも「子供にはより大きな言語を覚えさせよう」と考えるのは、自然な流れです。

ですから、先ほどの言語の生命力に話を戻せば、仮にその言語を喋る人が何百人しかいなかったとしても、周りの言語も同規模であれば、残っていく可能性はある。逆に周りを1万人、5万人という大言語に囲まれていれば、状況としてはより危機的と言えます。

ぼくが調査している村には、例外的にドマ人しか住んでいませんでした。だから大言語に吸収されることなく残っていたわけです。けれども、それもいまや消滅しつつあるということ。村人の多くがより大きな言語であるブルシャスキー語を選ぶようになっています。

——そもそも、二つの言語のあいだにそのような不均衡が起こるのはなぜですか。ある時期まではバランスが取れていたから、異なる二つの言語が存在していたのでは?

それには言語外のさまざまな要因があるように思います。

例えば日本でも、かつてアイヌ人に対する迫害があり、日本語を強制的に覚えさせるということがありました。そうするとアイヌ語を使う人口が減って、その落差が激しくなったからアイヌ語をやめる、というかたちで不均衡は加速していきます。

ドマーキ語の場合は、この辺り一帯がかつてはインド領だったため、カーストの影響があったと考えられます。

カーストは階級ごとに職業と結び付けており、ドマ人は鍛冶と音楽を生業とする民族です。パキスタン北部のほかの民族は、お祭りなどの音楽をドマ人に任せるべく、自分たちの街に住まわせようとした。その結果、彼らは分散的に分布することになり、どこへ行っても相対的にマイナーな、消滅しやすい状況に陥ってしまったのだと考えられます。

——グローバリズム、インターネットで世界が一つにつながれば、マイナーなものがよりマイナーになることが加速し、消えやすくなるとも言える?

そうでしょうね。ドマーキ語のような文字のない言語は特に。工夫してなんとか自分たちの言語を書き表そうとするよりは、英語などの、すでに文字のある大きな言語を書けるようになるほうが圧倒的に楽ですから。

——マイナーな言語の研究をしている立場として、経済的なメリットで価値が決まってしまう現状に思うところがおありですか?

一事が万事、そうじゃないですか。役に立つ・立たないですべての評価が決まってしまう。息苦しい社会だなって。

研究に対する評価だってそう。こういう研究をしているとよく「パキスタンの山奥の言語なんか調べて、なんの役に立つの?」とか言われたりする。「そんなのぼくが聞きたいよ!」って話で。

「役に立つかどうかを決めるのは誰か」という問題でもありますし。そりゃあ役に立つ研究もあっていいけど、役に立たない研究だって中にはあってもいいじゃないか、と思う。そういう自由も認めてほしいなと思います……って、なんだか愚痴のようになってしまったな。

生きるとは、絶えず変化することである

——ある言語が死ぬことで何が起こるのかについて考えたいです。ドマーキ語がなくなり、ブルシャスキー語に置き換わることで、失われてしまう概念もあるのではないですか?

失われてしまう概念、ですか……。

もちろん単語単位での違いはたくさんありますから、ドマーキ語であればドンピシャで表現できていた概念が、ブルシャスキー語に変わることで表現できなくなる、あるいはカテゴリ自体が消失するといった例は、探せばいくらでもあると思います。

ただ一方で、ブルシャスキー化はある日突然起こるわけではなく、長い年月をかけて徐々に進んでいることですから。両者は文化的にもかなり入り混じっているので、今後ドマーキ語を話す人がいなくなったとしても、大きく失われるものはおそらくはない気がします。

むしろその逆に、ドマーキ語を母語とする人たちがブルシャスキー語を使い始めることで、それまでのブルシャスキー語にはなかった概念が新たに生まれ、区別されるようになる、ということだってあるかもしれません。

——著書『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき。』には、火山の噴火によりある民族が全滅し、ある日突然、その言語がなくなるといった例もあると書いてありました。その場合は?

ああ、インドネシアのタンボラ語の例。その場合は、確かにそうですね。

ある地域でだけ区別されていた二つの植物があったとして、その地域の言語が突然なくなったら、それらを別々のものと認識できなくなる可能性はあるでしょう。極端な言い方をすれば、世界の見方が一つ減る。そういうことはあると思います。

仮に、魚を年齢別に呼び分ける「出世魚」のような発想が日本語にしかないとしたら、日本語を使う人がいなくなることで、そういう発想は一回なくなってしまう。同じようなことを考えてそれを作り出す人がいずれどこかに現れるかもしれませんが。一度消えてしまう可能性はあります。

けれども、そういう例は稀でしょうね。繰り返しになりますが、言語というのはそもそもが絶えず変化するものですから。

ぼくがパキスタンの言語を研究し始めて約20年が経ちますが、その間にもちょっとずつ変わっているくらいで。文法書を書いているそばから変わっていくから、それはもう大変なんですよ。

日本語だってそうじゃないですか。例えば最近だと「言えるくない?」「できるくない?」みたいな言い方とか。日々新しい言い回しが生み出されていますよね?

——いわゆる「若者ことば」というやつでしょうか。

いや、老人の言葉だって日々変わっていますよ。「ほかの人と少し違う言い方をして注目を浴びたい」「面白がりたい」という発想は若い人に多いので、そういう言われ方をすることが多いですけど。言語というのは、大人になってからもどんどん変わるものなんです。

変化するのが通常の状態なんですよ。変わらないように押しとどめて固定するというのは、そこで言語の息の根を止めているようなもの。ホルマリン漬けのようなものであって、それはもう「生きた言語」とは言えないですよ。

結論は急がず。可能性は未来につなぐ

——「生きること=絶えず変化すること」というのも、やはり人間の生死に通じる話として聞こえます。最後に吉岡さんご自身についても聞かせてください。なぜ消滅危機言語を記録するのでしょうか。そのことを通じて、言語を生き永らえさせようとしている?

よく誤解されるんですが、そうではありません。ぼくは一研究者でしかないので、ドマーキ語が危機的状況にあるからといって、ブルシャスキー語に鞍替えしようとしている彼らに対して「ドマーキ語を話しなさい」と言う立場にはないと思っています。

彼らがブルシャスキー語に鞍替えするのは、そうしないと生活できないからですよね。鞍替えすることで、自分たちを下に見てくる目線も薄れていくだろうと希望を持ってのこと。そういう彼らに介入するというのは、研究者としての立場を超えたものだと思っている。

ですからぼくとしては、いずれ彼ら自身が「復活させたい」と思ったときに、参考になる資料になるようなものを作っておこうと。

一度消滅した言語が復活した例としてはヘブライ語が有名ですが、ヘブライ語の場合は「旧約聖書」など、文字として残っていたことがやはり大きいですよね。資料がたくさんあれば、そこから解き明かして復活もさせやすい。

しかし、先ほどから言っているように、ドマーキ語には文字がありません。文字がない言語だと、喋る人がいなくなったら、もうなんの証拠も残りません。最初から存在しなかったことにだって、なってしまいかねないわけです。

——では「ひたすら記録する」のは、純粋に彼らのためを思ってのこと?

それが半分。もう半分は、これまで研究されてこなかった言語を、今後も言語学者が研究できるようにしようということ。そのために参照できるデータを残しているんです。

どの言語も、ほかの言語にはない特徴を持っている可能性があります。経済的価値は違えど、その意味で言語の文化的価値はみな、等しいのです。世の中のできる限りすべての言語を研究の資料として使える状態にしたいというのは、全言語学者が共通して思っていることだと思います。

そうすれば、残された物語をどこかの誰かが見て「文法書には記されていないけど、こんな面白い特徴があるじゃん」と気づくかもしれない。あるいは将来、言語学の理論が変わったときに、新しい発見があるかもしれない。そういう可能性を残しておくためにマイナーな言語を研究するのが、フィールド言語学という学問なのです。

——なにかと目に見える成果が求められる時代ですが、自分の代で結論や成果を急ぐのではなく、ひたすら記録しておくことで未来に可能性をつなぐというのは、生き方としてもとても大切なことだと感じました。

結論や成果なんて、出そうと思ってもそう簡単に出るものではないですからね。本当は一つの言語だけやっても、一生かけてもやり尽くせないくらいなので。冒頭で、ひょんなことから七つ、八つもの言語を並行して研究する羽目になってしまったと言いましたけど、本来はおかしな話なんですよ。

——ましてや「現地嫌い」を公言しているのに。

仕事として始めたからには続けなきゃというので、調査には行くんですけどね。現地に行かないとわからないことって、やっぱりありますから。そもそもドマーキ語と出会えたのだってそうですし。

ただ、現地へ行くと食当たりはするし、話は合わない。エアコンもないし、約束は当たり前のように破られる。嫌にもなりますよ。

——素敵なお仕事だなと思いますけど。

じゃあやってみます? いまならオススメの言語が八つくらいありますけど。そうしたらぼくは日本でぬくぬくして過ごしますので。

言語学者

吉岡乾

1979年千葉県船橋市生まれ。国立民族学博物館と総合研究大学院大学の准教授。博士(学術、東京外国語大学)。カラコラム山脈のブルシャスキー語、ドマーキ語を中心に、ヒンドゥークシ山脈、ヒマーラヤ山脈でも言語を調査する。著書に『なくなりそうな世界のことば』、『現地嫌いなフィールド言語学者、かく語りき。』、『フィールド言語学者、巣ごもる。』(いずれも創元社)。

写真:本永創太

執筆:鈴木陸夫

編集:日向コイケ(Huuuu)

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