DEATH.

「DEATH.」は、あらゆる職業や立場の人との対話を通して「死」を探求するプロジェクトです。

「人間らしい生」とは何か。原始地球を起点に見通す自殺、AI、クローン

季節は秋から冬に変わろうとするところ。『DEATH.』取材チームは東京大学・本郷キャンパスへとやってきた。黄金色の銀杏の落ち葉が一面を埋め尽くしている。その上を歩く学生の白衣が眩しい。

より良く生きるヒントを求めて、さまざまな人と死にまつわる対話を続けてきた。その中で度々登場したのが「人間らしい生」というキーワードだ。たとえば現代僧の松本紹圭さんは「人間らしい生を送るには、自分はなんのために生きているのかと、自らに問い続けることが必要だ」と語った。

ここでは「人間らしい生=良い生」という考えが暗黙の前提になっている。そのことが少しだけ引っかかっていた。生きていれば些細なことに悩み、苦しむことの連続だ。いっそ動物のように生きたら、そうした苦しみから解放されるのではないか。そのほうが良い一生なのではないかと時折誘惑される自分がいた。

人間が生態系を破壊し、地球を危機に晒していることは疑いようがない。環境意識や倫理が高まってきているとは言うものの、自然の優れたシステムであれば、そんな御託を並べずともまさに「自然と」バランスを保とうとする。「万物の長」を自称する人間こそが最も愚かな生き物のようにも思えてしまう。

いや、そうした良い・悪いの議論の前に、そもそも「人間らしい生とは何か」から問い直す必要があるのではないか。「人間らしさ」と言うからには、それはほかの生き物にはない特徴のはず。そのような順番で考えて、今回は、東京大学定量生命科学研究所の小林武彦教授を訪ねたのだった。

遺伝学が専門の小林教授。著書『生物はなぜ死ぬのか』はテーマの重厚さに反してベストセラーになった。表紙を飾るのは「現代人を救う“新たな死生観”」の文字。なぜここまで会いに行っていなかったのか不思議なくらいだ。人間にとっての生死と、それ以外の生物にとっての生死。両者を分ける本質的な違いとは何か。

死があるから、生物は存在する

——生物学から見て、「死」はどのように意味づけられますか?

たとえば「生物はなぜ死ぬのか」という同じ問いに対しても、いくつかの答え方があると思うんです。「メカニズムがそうなっている」「生き物だから死ぬのは当然だ」、あるいは「発生の延長として死があるのだ」など。専門分野によってこのようにさまざまな考えがあると思うのですが、私の専門は遺伝学です。そういう時間軸をわりと長めにとって考える生物学者から見ると、死は明らかにプログラムされている。生物というのはもともと死ぬべくデザインされたものだと思います。

——死ぬべくデザインされている。

遺伝学者はある問いについて考える時、しばしば進化の道筋を逆に辿ります。そもそも生物というのは進化によってできたものですが、現存する生物はその進化を重ねたことで、かなり複雑化しています。だから、いくらそれを見たところでわからないことは多い。そのため、より単純な生き物だったころまで進化の道筋を逆に辿ることで、そもそものコンセプトを探るのです。

では、死の起源を知りたいと思ったら、どこまで遡ればいいのか。生きとし生けるものは必ず死にます。かつて存在していた生物がいま存在しないのは、すべてどこかの時点で死んでいるからでしょう。ということは、死の起源を求めるには、生命になる前の物質まで遡らねばならない。

それは、RNA(リボ核酸)という遺伝物質だと考えられています。

——RNA。

よく知られるDNA(デオキシリボ核酸)の親戚で、生命のタネのようなものです。G、A、C、Uという4種類の塩基が細い紐状につながってできているのですが、このRNAは、2本鎖の構造を利用して自らをコピーする「自己複製能力」、そして塩基の並びを変えることで無限に近い種類を作り出す「自己編集能力」を持っています。

小林武彦(2021). 生物はなぜ死ぬのか 講談社現代新書 (p.27).より

38億年前の原始の地球で、度重なる化学反応の結果、こうした二つの特徴を持つ物質がたまたま誕生したわけです。すると何が起きるか。まず、さまざまな配列や構造を持った多様なRNA分子が作られます。次に、その中からより増えやすい特徴を持った分子が生き残り、多数派になる。さらに、そうして生き残ったものの中からさらに増えやすい特徴を持った分子が生まれ、また多数派になる……。

というように、放っておいてもある環境下でより生き残りやすい分子が生まれる「正のスパイラル」がここから始まりました。その繰り返しにより、生命は誕生したと考えられています。これこそが今日まで続く「進化のプログラム」がONになった瞬間です。

しかし「正のスパイラル」が起こり続けるには、新しいものを作り出すための材料の供給が不可欠になります。材料の限られた原始の地球で、一番の供給源はRNA自身でした。RNAは反応性に富むぶん、壊れやすくもあったから、作っては壊され、新しいRNAを作る材料として再利用されることが繰り返されたのです。

小林武彦(2021). 生物はなぜ死ぬのか 講談社現代新書 (p.29).より

作ったそばから壊す仕組みになっていたから、進化のプログラムはONになった。作るだけでは材料が枯渇し、そこで終わってしまっていたに違いありません。

——壊れることもまたプログラムされていたと。それがすなわち「死」?

そうです。進化というのは変化と選択です。変化とは作り直すこと。選択とはその環境で増えやすいものが残り、ほかは壊れること、すなわち死ぬことを意味します。その両方がセットであるから多様なものが生まれ、その中から絶えず移り変わる環境下でもどうにか生き残る種が生まれるのです。

私が「生き物は死ぬべくデザインされている」と言う意味はそこにあります。もし死なないものとしてデザインされていたら、私たちはいま存在していないのです。だから「生物はなぜ死ぬのか」「生物にはなぜ死があるのか」という問いは実は正しくない。むしろその逆で、「死があるからこそ、我々は存在している」のです。

人間にだけ長い「老後」があるのはなぜか

——そのコンセプトがいまに至るまで続いている。だから生物は例外なく死ぬ?

そうです。多細胞生物になり、複雑な構造と機能を手にした我々もこのコンセプトを引き継いでいます。分子で考えるとわかりやすいかもしれません。先ほどRNAの話をしましたが、いまの私たちはDNAという遺伝物質を持っています。年を取ると、分子としてのDNAは段々と壊れていきます。そして、壊れるほどに細胞の機能は低下していく。すると個体としても衰えていって、やがて死んでしまうわけです。

——老化は死へのプロセスと考えてよいのでしょうか?

そうですね。そしてヒトの場合はその老化の期間が長い。土俵際が長いんです。普通の生き物はもっとあっさりと死ぬ。

一般に、哺乳動物の老化の指標としてはメスの閉経が用いられます。子供を産めるあいだを現役と見做す考え方です。これに照らすと、ほとんどの哺乳動物は閉経後1年足らずで死にます。死なないのはヒトとシャチとゴンドウクジラだけ。ゴリラやチンパンジーは遺伝子的にはほとんどヒトと同じ生き物ですが、それでも閉経と共に死ぬ。閉経後も長く生きる陸上の哺乳動物はほとんどヒトのみと言っていい。

こういう言い方をすると「子供が産めない=生物的な価値は低い」という話に聞こえるかもしれませんが、ヒトに限ってその考えは当てはまりません。進化が生物を作った。ということは、老後も進化が作ったのです。そこにも進化的な理由があると考えられます。

——なぜヒトにだけ老後があるのでしょうか?

最も有名なのは「おばあちゃん仮説」。すなわち、おばあちゃんのいる家庭は栄えるというものです。

なぜおばあちゃんのいる家庭が繁栄するのか。それは子育てを手伝うからだと考えられています。ヒトの赤ちゃんはほかの動物と比べて未熟な状態で誕生します。ですから非常に手がかかる。そして、社会の中で生き抜くには教育の必要もあります。お母さんだけではとてもではないが手が足りません。だからおばあちゃんがいる・いないで繁栄の仕方がまったく違ったわけです。

長生きするおばあちゃんの家系が繁栄すれば、そちらの方が遺伝的に広がっていきます。そうするとついでに、おじいちゃんも長生きするようになる。長生きするおばあちゃんの遺伝子は娘だけでなく、息子にもいくわけですからね。

家庭におけるおじいちゃんの役割は、おばあちゃんほどはっきりとはわかりません。けれども推測はできます。ヒトは社会性の生き物だから、集団で生きています。集団をまとめるのはシニアの役目です。リーダーシップのあるシニアがいるかいないかで、その集団が強いか弱いかが決まった。だからますます繁栄したと考えられます。指導力のある年長者のいる集団は、みんなで力を合わせてマンモスを倒すこともできたんですね。

——集団として生きるヒトにとっては、長生きすることが都合よかったと。

現代人には白人、黒人、アジア人、アフリカ人とさまざまな人種がいて、見た目こそ違いますが、これらは完全にホモサピエンスという一つの種です。かつてはホモサピエンス以外にもいくつかの種類がいたのですが、おそらくは我々の祖先がそれらを滅ぼし、唯一生き残ったのです。

では、なぜホモサピエンスが生き残ったのか。それはやはり集団の結束力が強かったからだと言われています。我々ヒトは、社会を作ったおかげで生き残った。私たちの強みはそういうところにあったということです。集団としての結束力の強さが、生き残れるかどうかを決める。長い老後があるというのも、そういうところに関係していると考えられます。

唯一「多様な子孫を残せる仕組み」が正しい

——いまのお話は人間らしい生死を考えるヒントになりそうです。そこであえてお聞きしたいのですが、生物学的に見て「良い生」「良い死」といったことは言えるのでしょうか?

生物学的にということであれば、良い・悪いとは言えないのだと思います。

ある種が生き残るかどうかは、良い・悪い、強い・弱いでは決まりません。その環境に合っているかどうかで決まるのです。足が速いことで生き残ったのがチーターですが、チーターにはもともと足の速いものしかいなかったのかと言えば、そうではありません。いろいろな特徴を持った個体がいたはずです。たまたま、その時代のその環境には足の速い生き物が多かった。だから足の速い個体が生き残りやすかったのです。

環境が違えば、足の速さよりも瞬間的な力の強さが問われていたかもしれない。生き残りの条件が何になるかは偶然の賜物なので、誰にもわかりません。ですから、いまの私たちの限られた価値観で良い・悪いというのはダメだと思うのです。

それでもあえて言うなら、多様なものが良いのだと思います。すごく優秀な子供も、そこそこの子供もいるのが良い。いまこの時点の価値観に照らしてすごく優秀な子だけがいるのは、良いとは言えないわけです。

生物にとって良いのは、自分が死んだとしても、多様性のある子孫を残せることです。なぜなら、多様な生き物が生まれるこの仕組みがあったからこそ、我々はいまこうして存在できているのですから。結果として現れるこの多様性を否定してしまったら、我々自身の存在を否定することになってしまいます。

——できるだけ多様なものを作り出して、そのどれかが生き残るだろうという状態を作る。個々の生き物というより、全体が恐ろしく巨大な一つの生き物のように思えてきます。

おっしゃる通りです。その生命観はおそらく正しい。要するに、もともと個々の生き物が生き残るというコンセプトではないのです。ざっくりといろいろなものを作る。その中でいずれかが生き残るという、進化の仕組みが勝利してきたのです。

——良い・悪いということは言えない。だとすると、極論かもしれませんが、どう生きたっていいという話になりませんか?

そう。ですが、どう生きたっていいというのは案外難しい。なぜなら、ヒトは社会性の生き物だからです。社会の中でしか生きられない。

一人暮らしの学生が近所の牛丼屋に行けば、すぐに食べ物が出てきます。ですが、それは誰かが作ってくれているから食べられているわけです。服だってそう。すべて誰かが作っている。まったく一人で生きている人間はいません。社会の中に完全に埋もれて生きている。

となると、すべてを受容できるような社会でなければ、先ほど触れたような多様性は確保できないことになる。そういう意味でも「より良い生」「より良い死」といったことを言うのは難しいように思います。いろいろな生き方、いろいろな死に方があっていいんです。

ただし、自殺だけはない。ほかの生き物を広く見渡しても、自殺をする生物だけはいません。こんなに小さな単細胞の生物でさえ、生存本能、逃避本能を持っている。集団自殺する生物がいるという話がニュースになったことがありますが、あれは極度なストレス状態、シックな、つまり「病んだ」状態からくるものでしょう。そしてそれは人間も同じです。生物学者からすれば、生き物が「食べられて死ぬ」ことはあっても、自殺だけは選択肢としてあり得ないのです。

——人間が自殺をするほどストレスを抱えるのは社会との折り合いに問題があるように思えます。見方によっては、社会的な生き物であるがゆえとも言えるのでは?

おっしゃる通りです。「社会性の生き物」と言うのは簡単ですが、実際は難しいということでしょう。要するに、人には個性がある。その多様な個性を受容するだけの「居場所」が社会の中にあるかどうかが問題です。

居場所がある人は社会の中で生きていけます。これは自然界の生き物も一緒です。森の中のある木の根っこで生きている生き物がいるとして、木がなくなったら、そこで暮らす生き物は居場所を失い、死んでしまう。私たち人間にとっては、社会こそが大きな森です。その中に居場所がなくなったら、やはり生きてはいけない。

外に居場所がない人は、得てして家に引きこもることになります。その家にも居場所がないと、死んでしまう人もいるかもしれない。だから、引きこもりというのは自殺の一歩手前の段階とも言える。

若い人と話していても、睡眠導入剤を飲まないと眠れないという話を聞いたことがあります。若者は本来、そんなことになるはずがないのに。生きるエネルギーに満ち満ちていないといけない。なのにこうなってしまっているのは、居場所がないから、あるいは居場所が間違っているからかもしれません

多様な個性を受容できる居場所を社会の中にどう作るかが問われています。それを提供できるかどうかというのが、社会を構築している大人の、シニアのミッションではないかと思うのです。「居場所を作る」というのは物理的に場所を作るという話に留まりません。気の合う友達がいるか、といった話でもありますし、あまり画一的なことをしたり、変にランク付けしたりするのも良くないということです。

多様性を否定し、進化を止めるのも社会の選択

——社会の問題は自殺だけではありません。21世紀になったいまも戦争が起きています。

愚かだなと思いますね。せっかく種として生き残り、多数派になったのに。今度はその中で内部抗争を始めるわけです。ほかの生物にも縄張り争いや種間の争いはありますが、ここまで大規模に潰し合いをすることはありません。

加えて人が愚かなのは、その愚かさを客観的にわかっていながら止められないことです。口では皆「戦争は良くない」と言う。にもかかわらず結局やっているわけだから。

——そういう人間の愚かさをなんとか制御しようということでAIが出てくる流れにも納得はできると思うのです。ですが小林さんは著書の中で「死なない存在としてのAI」に危惧を表明している。どんな危うさが?

わかっていてもつまらない戦争を起こしてしまう。そんな私たち人間を唯一正せる存在としてAIに期待をかけるのはわかります。たとえば、AI同士でシミュレーションをすれば、実際に血を流さずともどちらが勝つかわかるでしょう。であればそれで決める、ということでもいいかもしれません。私たち自身で解決できない問題をAIで解決できるというのなら、それはそれで人類が生み出した素晴らしい技術です。

頼るのはOK。私が危惧するのは、その頼り方が難しいだろうということです。スティーブ・ジョブズは自分の子供にスマホを与えなかったそうですね。作った人は、それをいかに使わせるかを考えて作っている。だから適切な距離感がわかるんです。けれども作った人以外はそうではない。適切な使い方がわからず、悪戯に時間を浪費することになる。

AIは人間にとってエイリアンです。高度になればなるほど、人はAIの出した結果に従うことしかできなくなります。答えを導き出したプロセスを理解できないからです。そして人間は必ず死ぬ一方で、AIは死なない。「AI以前」を知る人間は早晩いなくなります。

たとえば、私たちのように必死に英語を勉強した世代からすれば、AIの翻訳機能の素晴らしさもわかるし、弱点もわかる。辞書で調べながら必死に本を読む楽しみもわかるし、翻訳機を使わずに苦労しつつも外国人と意思を通わせる喜びも知っています。そういう人はまだいいですが、それを知らない人はどうか。かなりの部分をAIに依存した生き方になった時に、何が起こるかはもはやわからないですよね。もちろん良いこともあるでしょう。でも良くないこともあるかもしれない。そこは注意しないといけない。

——同様に、ヒト自身の老いない、死なない技術の研究も進んでいると聞きます。その是非は?

ここまで話してきたように、死なないというのは進化の否定、多様性の否定です。私は生物学者ですから、多様性を損なうような研究はあまり良くないとか、人を受精卵の段階で選別するのはいかがなものかと思ったりもします。

ただ、その是非は社会が決めることです。というのも、繰り返し触れているように、人は社会性の生き物です。人類の未来を考えて社会がそういう選択をするのであれば、それは仕方がないことだと思うのです。

たとえばいま、少子化がものすごく進んでいるでしょう。このトレンドがこのまま進めば、50年後くらいには労働人口が半分になる。100年後には日本自体がなくなる可能性だってあります。そうした時に、人が生まれてこないのであれば、細胞からクローンを作ってしまおうという選択はあり得ます。技術自体はすでにマウスで実現している。人類の生き残りをかけてその選択をするというのも、それはそれでアリです。

でも考えてみてほしいんです。そもそもいまこの時点の話に限っても、どのように死ぬのかということに関して、個人の選択の幅は思っているほど広くないんですよ。国によってはいまなお戦争で人が死んでいる。それは関係する国がそういう選択をした結果です。幸いいまの日本でそういう死に方をする人はほとんどいませんね。ですがそれもまた、日本という社会がそのように決めた結果でしかないのです。

生物学者

小林 武彦

1963年、神奈川県生まれ。九州大学大学院修了(理学博士)。日本学術会議会員。基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所を経て、東京大学定量生命科学研究所教授。著書に『寿命はなぜ決まっているのか』(岩波書店)、『DNAの98%は謎』(講談社)など

Twitter@Tako_bio 

写真:本永創太

執筆:鈴木陸夫

編集:日向コイケ(Huuuu)

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