DEATH.

「DEATH.」は、あらゆる職業や立場の人との対話を通して「死」を探求するプロジェクトです。

遺された者にとっての「死」。終わりのない“悲しみ”は絶望か、希望か

死は誰にも等しく訪れるもの。過度に恐れたり遠ざけたりしても意味がない。むしろ死を受け入れることから、生は始まる——。過去9回の対話を通じて、死についてぼくらが学んだことだ。

だが、ここまで振り返ってみて大事な視点を忘れていたことに気がついた。それは、ここで言う死は誰のものなのかということだ。

ぼくらはこれまで、暗黙のうちに死にゆく本人にとっての死を論じていた。しかし、誰かが死ねば、別の誰かが遺される。死は、亡くなった本人以上に遺された人にこそ重くのしかかると言っていいだろう。

「遺された者にとっての死」。これがDEATH.10本目となる本稿のテーマだ。

一般社団法人リヴオンは「グリーフケア・サポートが当たり前にある社会」を目指して2009年に立ち上げられた。代表理事の尾角光美さんは19歳で母親を亡くしている。グリーフとどう向き合うかは尾角さん自身のテーマでもあった。

グリーフ(grief)は直訳すれば「深い悲しみ」「悲嘆」。だから、グリーフケアとは「死別などの喪失により深い悲しみの淵にある人を」「どうにかして立ち直らせるべく」「専門家が然るべき方法でケア(care)すること」。そう思っていた。

ところがここにはいくつもの思い違いがあった。まずはグリーフケアという言葉の意味を正しく理解することから始めなければならない。それが今回の対話の出発点になる。

グリーフに関する誤解

——グリーフケアそのものについて伺う前に、そもそも「グリーフ」とはなにか、から伺えますか。

グリーフは一般的に「死別の悲嘆」などと訳されますが、これは狭義で、本来はもっと幅広く、失うことから生まれる反応すべてを指します。

まず「失うこと」というのは死別に限った話ではありません。離婚、転校、失業、失恋……。あるいは病気などで自分の健康や自由を失うというのもそう。ですからグリーフを経験しない人はいない。すべての人が当事者と言えるわけです。

そして「喪失から生まれる反応」も悲しみには限りません。例えば、無反応という反応もあります。あまりにショックすぎてなにも感じられないという経験など、皆さんにもあるのではないですか?

「過活動」と言って、喪失そのものとは向き合わず、例えば仕事などに没頭しすぎる人もいますし、あるいはその逆に、なにもする気が起きずに引きこもるというのもグリーフの反応の一つです。

このように、グリーフには「死別の悲しみ」といった表現ではまったく収まらない多様な反応があります。そして、そんなグリーフをケアするのがグリーフケアということになります。

ただ、私たちはグリーフケアという言葉をあまり使いません。もう少し広い意味を込めて「グリーフサポート」と言ったりします。

——なぜでしょう?

グリーフケアと言うと、なにか「専門家が心のケアをすること」のように思えてしまうでしょう? あるいは「ケアする人」と「される人」がいるように捉えられてしまう。でも、実際はまったくそういうことではないんです。

例えば、私たちリヴオンの活動の一つに「場づくり」があります。同じような喪失体験をした人が集まってお互いの経験を語り合う場なのですが、そこでは誰かが誰かをケアするわけではありません。ケアは場に、あるいは人と人のあいだに生まれていくんです。

——自分も専門家によるカウンセリングのようなものをイメージしていました。

もちろんそれもグリーフサポートの大事な要素の一つです。実際にグリーフカウンセラーという専門職もあります。

けれども、ケアの原義は「大切にする」ですから、グリーフケアとは本来「喪失から生まれる反応を大切にすること」。本当の意味で「グリーフを大切にする」ことは、専門家にしかできないことではありません。私たちはむしろ「誰にでもできる」ということを大事にしています。

引きこもりの人を引きこもりのサポートにつなぐこと。お花屋さんへ一緒に行ってお墓参りの際の花選びを手伝うこと。こうしたさまざまなことを含む、広く「支え」を意味する言葉として、私たちはグリーフサポートと言っています。

学校の先生には先生なりの、お花屋さんにはお花屋さんなりの、お坊さんにはお坊さんなりのグリーフサポートができます。

その反応は自然である

——コロナ禍に際して冊子『コロナ下で死別を経験したあなたへ』を作り、無償配布するなど、グリーフをかかえた当人に向けた情報発信にも力を入れていますね。これもグリーフサポートの一つ?

そうですね。グリーフに関して基礎的な知識があるだけで、ほっとしたり、楽になることもあります。情報を届けることは最大限大切にしています。

——大切な人を亡くした人が、自分のグリーフをケアする上でのポイントはどこにありますか?

まずは「喪失を前にして自分に起きているその反応は自然である」「正常である」と知ることだと言われています。

——その反応は正常である。どういうことでしょうか。

例えば「すごく大切な人と別れたのに自分は悲しくない。人でなしなのだろうか」「涙も出ないのは自分が冷たい人間だからではないか」と感じる人が結構います。そういう人にとっては「無反応だってノーマルなのだ」と知ることが、まず重要になります。

感情には本来、ネガティブもポジティブもありません。悲しんだって、怒ったっていいんです。その感情は、いまのあなたにとって必要だから生まれてきている。ですから「いまはそう感じているんだ」と自分の状態、感じ方にOKを出してあげることが出発点になります

ただ、情報としてそれを知ったところで苦しいという人はやはりいます。そのため、場づくりや場づくりができるファシリテーターの育成など、あらゆる方法でサポートに取り組んでいるわけです。

——出発点は「自分の反応はノーマルである」と知ること。では、グリーフケアのゴールは?

あえて「ゴール」という言い方に則るなら「グリーフと共に生きられるようになること」、あるいは「喪失を自分なりのかたちで大切にできるようになること」でしょうか。

ただ、誤解しないでいただきたいのですが、グリーフは乗り越えたり立ち直ったりしなくっても、いいんです

死は「点」ですが、グリーフはそこから始まる「プロセス」です。より正確に言えば、そのプロセスは亡くなる前から始まる場合もあります。例えば「癌で余命半年」と言われれば、その時点で「予期悲嘆」が始まります。

グリーフは基本的には病気ではないので、「何年経ったら治りますか?」という話ではありません。何年経っても涙は流れるし、命日や記念日が来るたびにしんどいと感じることがある。それでも大丈夫です。それが「ノーマルである」ということの意味ですから。

その涙が流れた時に、そうした自分とも「共にある」ことができるかどうか。自分なりにその時を過ごせるかという話なのです。

——自分なりに過ごせるか。

例えば亡くなった人に手紙を書くとか、お墓参りに行くとか。記念日にその人が好きだった食べ物を作って食べるとか。「グリーフワーク」というのですが、そういう具体的な営みを通じて、自分から死と向き合いやすくしたり、扱いしやすくしたりするんです。

私の場合は、YouTubeで母の好きだった音楽のプレイリストを作っておいて、命日前後にそれを流したりしています。

——死をネガティブなものとして遠ざけるどころか、むしろ近づけていく。

おっしゃる通りです。そうすると、亡くなった人もその人の中で生き続けることができる。私たちのリヴオン(Live on)という団体名には、遺された人だけでなく、「亡くなった人のいのちも生き続ける」という意味を込めています。

「亡き人のいのち」を生かすかどうかは、遺された私たちにかかっている。「終わったことにしよう」「乗り越えよう」と言うと、その人は永遠にいなくなってしまうのではないでしょうか。

ジャッジせず「ままに」向き合う

——一方、グリーフを抱えた人に対して周りはどう接したらいいでしょうか。

私たちは「ままに」という見方、姿勢を大切にしています。ジャッジすることを脇に置き、そのままに受けとり、そのままに聴くことが重要です。

人はすぐに「こうあるべきだ」という前提を元に、ジャッジしようとします。「もう・・四十九日経ったよね」とか「まだ・・泣いているの?」とか。「私なんかよりあなたの方がずっと苦しいでしょう」という比較もそうです。勝手に判断して、決め込んで話してしまいがちです。

そうしたジャッジや比較を脇に置いて「ままに」向き合うのがサポートのイロハのイです。「死にたい」と言われたら、「そんなこと思わないで」というのではなく。「死にたいんだね。それはどういう気持ち? もう少し聞かせて」と言ってみる。

どんなアドバイスより、「ままに」向き合ってもらうことで、人は本当に大事な気持ちを安心して話すことができる。そこにジャッジが入ると「この人には気持ちをわかってもらえない」「信頼できない」と相手には感じられるかもしれません。

——安易に「わかる」というのは逆効果の可能性もあると。良かれと思っての発言なのでしょうが。

そうですね。

私たちはいま、医療従事者向けの講座づくりもしているのですが、既存のコミュニケーション講座のテキストを覗くと、例文として「あなたの気持ち、わかります」などと書いてある。とても危ういと感じます。

グリーフは本当に人それぞれで、指紋と同じくらいに違うと言われます。一卵性双生児でも指紋が違うように、同じ親を亡くした双子であっても、悲しみの感じ方、表現の仕方は違います。そう考えたら、本来「わかる」はずなんてないですし、どんなグリーフにも効く万能薬など当然存在しません。

わかった気になるのではなく、目の前の人がどう感じているのかを知ろうとすることが大事。「あなたはこう感じているのかな?」「こう理解したけど、どう?」。そうやって確認作業を重ねていければよいのではないでしょうか。

そうすれば自然と、行動も具体的になっていきます。例えば「食事が喉を通らない」というのであれば、「だったらスープを送るよ」とか。私は兄が亡くなった時、食事が喉を通らない中で、スープを送ってもらってやっと食事ができ、ほっとしました。

言葉だけで相手の苦しみを取り除こうというのは人間のエゴだと思うんです。もちろん言葉も大事ですけど、得てしてエゴになりがちなので。

相手のしんどさと共にあるというのは、誰にとってもしんどいこと。そのしんどさから逃れて楽になりたいと思い、エゴに走ってしまうのだろうと思います。

グリーフから希望を

——尾角さんご自身のお話も伺いたいです。リヴオンの活動を始めようと思ったのは、やはりお母さまが亡くなったことがきっかけだった?

うーん、どうでしょう。コップの中の水が溢れ出すのは、さまざまな出来事の積み重ねの末だと思うので。明確に「これがきっかけ」と言うのは難しいですよね。

ただ、コップの中に最初に入っていた水が母の死だったことは確かでしょう。母の死がなかったら私はここにはいない。そういう意味では原点は母の死だと思います。

その次に入ってきた水は、あしなが育英会との出会いでした。病気、災害、自殺、テロ、戦争など、さまざまな理由で親を亡くした子供たちのケアに関わりました。

親を亡くした子供は世間から「かわいそうな子」という目で見られます。私自身もそうでした。でも、実際はまったくそんなことはないのだと、この活動を通じて知りました。彼らと場を共にして、グリーフを分かち合う中から生まれてきたのは大きな力、希望でした。

——どういうことでしょうか?

私の担当したグループには、アメリカの9・11テロの遺児と、アフガニスタンの戦争遺児がいました。お互いの立場は、憎しみ合っておかしくない関係にありました。

ところがそのアメリカ人の子は、アフガニスタン人の子に向けて、目に涙を溜めながら「申し訳ない」と言葉にしたんです。「戦争は大人の問題だと思ってきたけれど、ぼくの国の人が、君のお父さんを殺したことはとても悲しいし、あってはならないことだ」と。それから、みんなで抱きしめ合って平和を祈りました。

そのグループには、父親を癌で亡くした当時大学1年の男の子もいました。彼はこの時「カメラの力で世界を平和にする」ことを誓い、実際にいまカメラマンとして活躍しています。

こうした経験を通じて私は「ああ、グリーフには人のいのちや人生を大きく動かす力があるのだな」と思ったのでした。悲しみの中から、そういう力、光や希望のようなものが生まれてくる。これが、いまの活動にも続く私の根っこにある信念です。

リヴオンでは「グリーフから希望を」という言葉を使うのですが、グリーフが種となって、そこから芽が出て花が咲くみたいなことが起きる。だからグリーフを取り除く必要なんてないんです。

——なるほど。考えてみればリヴオンの活動もまた、尾角さんご自身のグリーフから生まれたものですしね。では最後もう一つだけ。実際にお母さまを亡くした時はまだ、グリーフケアという概念をご存じなかったはずですよね。どのようにして「グリーフと共に生きる」に至ったのでしょうか?

それにはやっぱり……10年くらいの時間がかかりましたよね。

母を亡くして5、6年は「死にたい」と思っていました。初期のころは当時付き合っていた恋人や親友に過度に依存していたと思いますし、恋人が実家の親と電話しているだけで涙が止まらないような状態でした。

それがノーマルだということなんて知りませんでした。自分だけがおかしくて、自分だけが弱いとすごく責めていた。知っていると知らないとでものすごく違うというのは、振り返ってみても思うところです。

最終的に一番頼りになったのは、あったかい心と冷静さを持っている友人たちだったでしょうか。私が「死にたい」と言った時に「うちにおいでよ」と1週間滞在させてくれたり。何度も学校を辞めようとしていた時、具体的な相談に乗ってくれたり。そういう実際的な支えがあって、生きる力を少しずつ回復していったように思います。

——振り返ってみて、当時のご友人たちの接し方は、グリーフケアとしてとても正しいものだったということでしょうか?

そういう意味で言えば、私は恵まれていたのだと思います。

大学に入ってすぐ「母親が自殺で亡くなった」と同級生とゼミの先生に打ち明けたんです。そうしたら「そうか、それは大変だったね。なにか力になれることはある?」と言ってくれて。「自殺!?」とかそういう反応ではなく。

そこにジャッジが入らなかったというのは、私にとってものすごい救いでした。そうでなかったら、他者を信用できなくなっていたかもしれない。

逆に、いま知っているエッセンスで当時の友達になにがなかったかと考えてみると、亡くなった人に興味を持ってもらえるということはなかったように思います。

例えば、私たちの講座の卒業生にある時「亡くなったうちの兄はバイクに乗っていたんだ」と言ったら、「へー、どんな色のバイク?」と尋ねてくれました。

——タブー視して、あえて聞かない人のほうが多いかもしれないですよね。

そう。亡くなった人のバイクの色なんて、一般的には誰も聞いてくれない。でも「普通に聞いてみればいいんだよ」というのが、いまの私が持っている知恵です。

社会がその感覚を持てたら、社会はもっと豊かになる。死んだ人が「ない」ことにならない。死んだ人も生かしていける。積極的な関心を持って、恐れずに尋ねてみてほしいと願っています。

一般社団法人リヴオン代表

尾角光美

19歳で母を自殺により亡くす。あしなが育英会で病気、災害、自殺、テロ等による遺児たちのケアに携わる。2006年自殺対策基本法制定以後、全国の自治体、学校などから講演、研修の講師として呼ばれグリーフケア、自殺予防に関して伝え広める。単著『なくしたものとつながる生き方』(サンマーク出版)にも表現されているように、失くしたことをなかったことにするのではく、大切にしていける社会に向けて日々東奔西走している。

HP:https://www.live-on.me/

「コロナ下で死別を経験したあなたへ」

写真:本永創太

執筆:鈴木陸夫

編集:日向コイケ(Huuuu)

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