『でんぢゃらすじーさん』は、小学生向け漫画雑誌『月刊コロコロコミック』などで20年以上にわたって連載が続く、超人気ギャグ漫画シリーズだ。
一話完結で、主人公である「じーさん」が毎回、世の中のさまざまな危険から身を守る方法を「孫」に伝授する……のだが、結果としてさらに危険な事態に陥るというのが、お決まりのストーリー。
第1話ではさっそく、落ちてきた葉っぱが頭に刺さって「じーさん」が死ぬ。その後もとにかく、人がよく死ぬ漫画なのである。展開される笑いはバイオレンス、下ネタのオンパレード。年々表現規制が厳しくなる世の中にあって、なぜ20年間も”無傷”でいられたのか、本当に不思議で仕方がない。
作者の曽山一寿さんは2001年、弱冠21歳でこの連載をスタート。その後の人生のほぼすべてを注いで、あの手この手で「じーさん」を殺し続けてきた。
実際にお会いすると、超売れっ子作家でありながら、ものすごく腰の低い常識人という印象。(当たり前だが)とても凶悪犯には思えない。
児童向けギャグ漫画の金字塔『でんぢゃらすじーさん』では、なぜここまで人が死にまくるのか。それでいていつの時代の子供にも受け入れられてきたのは、なぜなのか。
刷り込まれた「不謹慎の笑い」
——『でんぢゃらすじーさん』の連載が始まったのは21年前。この作品はそもそもどうやって生まれたんですか?
連載が始まる前年に、小学館の「新人コミック大賞」という若手の登竜門的な賞に漫画を描いて出した、これがすべての始まりです。
『ぼくのおじいちゃん』という作品なんですけど、その漫画に出てくる「おじいさん」が「でんぢゃらすじーさん」の見た目そのまんまで。ただ、内容は必ずしも「でんぢゃらす」なものではありませんでした。
ありがたいことにこの漫画が賞をとったことで、コロコロの担当編集さんがついてくれることになって。その担当さんから「空から雨ではなく、槍や隕石が降ってくる。そんなトラブルを次々に解決していく漫画を描いてみないか」と提案されたんです。
——なんと! 編集者さんのアイデアだったんですね。
そうです。最初は読み切りというかたちで始まり、ありがたいことにこれも多少人気があったことで、その後現在にまで続く連載がスタートすることになりました。
——1話目では葉っぱが頭に刺さり、主人公の「じーさん」が死ぬという衝撃の始まり方をします。いきなり核心を突くようですが、『でんぢゃらすじーさん』ではなぜ、こうもよく人が死ぬのですか?
これは『でんぢゃらすじーさん』どうこうではないのですが、ぼくの中には「不謹慎の笑い」とでもいうものが深く刷り込まれていまして……。不謹慎なものを見るとめちゃくちゃ面白いと感じてしまう。そういうやばい人間なんですよ。
お葬式のような場でもついつい笑ってしまう。「お坊さんの頭の上にウンコが乗ってたら面白いなあ」みたいなことを想像してしまうんですね。
——たまにいますね、絶対に笑ってはいけない状況でなぜか笑ってしまう人。
世代的にご存知かわからないですが、ぼくはドリフターズのコントに大好きなものがあって。
にぎやかな会社の忘年会にその年亡くなった社員のお父さんが遺影を持ってやってくる。忘年会だから当然、みんなでどんちゃんやるわけですけど、何かにつけて父親が息子のことを思い出してしまい、その都度場が盛り下がるという。
ぼくはこのコントがすっごく好きで。なぜか死というのが面白く感じられるんですよ。
あるいは、往年のファミコンソフト『スペランカー』。ものすごく難易度が高いことで知られるアクションゲームなんですけど、主人公がとにかくよく死ぬんです。ロープから手が離れたら死ぬ。ちょっとした段差でつまずいても死ぬ。
このゲームを友達とやっていると、とにかくめちゃくちゃ笑えてしまうのが、ぼくという人間なんです。簡単に死ぬということが、それほどに面白い。遊びながら「これは間違いなく、死が笑いにつながっているな」と思っていました。
だからプロになる前、まだ素人だったころに描いていた漫画では、いま以上に簡単に人を殺してました。包丁を持ったおっさんが追いかけてきて、「逃げろ、逃げろー」「ギャー、ヤラレター」「ちゃんちゃん」みたいな。そういうものをすごく面白いものと思って描いていた。
プロになるにあたって、さすがにそのままではダメだろうということで、これでもかなりマイルドな表現に変わってるんです。ただ、「死ぬ=面白い」という感覚は変わらずずっとある。「なぜそれが面白いのか?」と聞かれたら、うまく説明できる自信はないんですけど。
なぜ? 編集NG、苦情トラブルはほとんどなし
——いまはどんどん表現に対する規制が強くなっていて、SNSのちょっとした軽口が、これでもかと叩かれることもあるじゃないですか。長く連載を続ける中で怒られたり、編集側からストップがかかったりしたことはなかったんですか?
それがほとんどないんですよ。ありがたいことに担当編集の方には恵まれていて。のびのびと描かせてもらってます。
下ネタに関してNGを食らったのは、長い連載期間の中でたしか1度だけ。死に関しては、「じーさん」が餓死をする回でものすごく干からびた感じに描いたところ、「もうちょっとマイルドな表現にしてください」と言われたことがあったかな。おそらくは「リアルな死を連想させるから」というような理由だったと思います。
——現在の担当編集である安達さんにも伺いたいのですが、児童向け雑誌で死を扱う上で、「これだけは守ってほしい」と先生に注文をつけることは?
安達さん:自分は担当になってまだ5か月足らずと日が浅いのですが、いまのところ「これはどうなんだろう」と思わされたことはありません。
今後、世の中の規制の空気がさらに強くなったり、編集部の方針が大きく変わったりしたら、あらためて考えることも出てくるかもしれないですが。そのあたりの先生のバランス感覚はいつも素晴らしいので、自分はフラットに面白いかどうかという視点で見させていただいています。
——ネット上でも、曽山先生の線引きのうまさは度々話題になっています。死を描く上ではどんなことに気をつけていますか?
絶対に面白い絵で殺すようにはしていますね。
車に轢かれて死ぬのであれば、車の先端が変なおっさんの顔になっている、とか。死顔は変顔に、断末魔は下ネタにするなど、なんらかの方法で「面白い絵にして殺す」というルールは守るようにしています。そうしないとギャグにはならないので。
そもそも『でんぢゃらすじーさん』はなぜあるのかと言えば、人を笑かすためじゃないですか。せっかく人を殺してまで笑えないんだったら、描く意味がないなって。
——たしかにその通りですよね。でも、世の中の「叩く人」には、そういう理屈が通じないところもある気がするんですけど。
安達さん:私は小学館に入社して10年以上になるのですが、いろいろな作家さん、先輩編集者と日々やりとりをする中で感じているのは、大抵の不都合は「面白い」に吹き飛ばされるということです。
わかりにくい表現や複雑な伏線なども、読者がついてきてくれるのは、それが面白い話に乗っかっているからです。なので不謹慎な表現も、「面白さ」のためにやっていて、それに成功している限りは、受け入れてもらえるということなのではないかと。
『でんぢゃらすじーさん』が20年間支持されているのは、そこが徹底されているからではないかと思っています。
「また同じ」「前にも見たよ」と言われても
——それにしても20年という歳月は長い。連載を続けていて悩んだり、スランプに陥ったりしたことはありますか?
連載を始めてから、一度だけ人気が低迷していた時期があります。
自分なりに考えてみると、そのころのぼくは読者のことを一旦置いておいて、ぼく自身が面白いと思うものを描こうとしていた節がありました。「こんなの子供にわかるだろうか」と思うような、シュールで難易度の高い、実験的なネタばかり描いていた。
長いことやっていると考えがぐるぐると回って、なにが面白いのかわからなくなるような瞬間があるんですよ。ありきたりな笑いではもう自分自身が笑えないから、「もっと、もっとすごい笑いを」と突っ走りたくなる。
ぼくが漫画を描き始めたのはもともと「ドリフのような漫画が描きたい」と思ったところから。ドリフの笑いって、誰がみても面白いじゃないですか。言葉の壁を超えて、世界共通の笑いと言ってもいいくらい。そういう「地球上の誰が読んでも面白いと思える漫画を描こう」と思って、漫画を描き始めたんです。
ただ、ずっと「ドリフ」をやっていると、ちょっと複雑な笑いにも挑戦したくもなる。それが人間の「さが」というものでしょう。
でも、そうやって複雑な方に走れば走るほど、コロコロの読者が求めるものからは、ちょっとずつ離れていってしまうんです。だって、20年やっているぼくが面白いと思うものと、今月号から読み始めた子供が面白いと思うものは、まったく別物だから。
——そのジレンマはわかる気がします。
それ以来心がけているのは、いい意味で進歩しないことです。
ぼくが進歩してしまうと、どんどん読者から離れていってしまう。逆に「まだこんなこと描いているのかよ!」「これ、ずいぶん前に見たことあるよ!」と言われるくらいの漫画をずっと描き続けなければならないんだろうな、と。
ほとんどの漫画家の先生は、長く続けていくうちに少年漫画、青年漫画……と、徐々に対象年齢が上のフィールドへとシフトしていくものなんです。でも、その逆はほとんどいない。自分がずっと続けてきた表現をわかりやすくするとか、簡単にすることには、やはり抵抗があるものだから。
要するに人間というのは、放っておいたら自然と進歩してしまうものなんでしょう。だからそこは「上がらないように、上がらないように」と、強く自分に言い聞かせるようにしています。
——だからいつの時代の子供にも受け入れられているんですね。
コロコロには「面白かったコマ」ランキングというのがあります。作品単位ではなく、コマ単位で「ここが面白かった」という人気投票。手前味噌ですが、ぼくの作品はこのランキングで上位にくることが多いんです。
これはぼくにとってとても嬉しいこと。なぜって、普段から意図して「話の筋とは関係なく、この1枚だけで笑える絵を」と思って描いているところがあるから。
コロコロは子供にとって初めて手に取る雑誌、初めて手に取る漫画であることも多いです。そういう子供にとっての「面白い」とはなにかと考えると、流れとまったく関係なく、1コマで笑えるというのは強いよな、と思うんですよね。
「漫画家としての死」に瀕して寿命が延びた
——Webで連載している『そやまんが』では、数年前に硝子体失血(*1)を発症したことを告白されています。目の前が見えなくなり、漫画家としての引退を覚悟した、と。恐怖はさぞ大きかったのでは?
*1:網膜の血管などが切れて出血し、眼球内に血が溜まってしまう状態
それはもちろん。ただ、わりと早くに快方に向かってくれたので。あの状況が1、2か月と続いていたら「この先どうしよう」という深いところまで落ちていたかもしれません。
——引退は言ってみれば漫画家としての死。そういう経験をしたことで、その後の漫画との向き合い方などに変化はありましたか?
「たかが仕事」と思うようになりましたね。昔は漫画がすべてで、漫画家として失敗したら俺の人生なんてなんの意味もないくらいに思っていたんですけど。病気によって半強制的に引いてみる機会を得たことで、「仕事を辞めたからといって、別に死ぬわけではないしな」と思うようになりました。
——それは少し意外な気がしました。
ぼくが若いころに一番尊敬していたのは、『あしたのジョー』の矢吹丈。丈のようなスポーツ漫画の主人公って、「この試合にさえ勝てれば、その後の人生がどうなったっていい」みたいな姿勢で試合に臨むじゃないですか。「それがかっこいいな」「熱いな」「自分もそうありたいな」と思っていました。
もちろんいまでも素晴らしいし、かっこいいなとは思います。でも、歳をとるほどに、それができなくなっている自分がいるんですよ。
ここでそこまで頑張ったら、本当に明日には動けなくなってしまう。それならいっそ自分からギブアップしてしまおうと思うようになりました。気持ちが壊れていくくらいだったら、もっと力を抜いて、のらりくらりと描いていけばいいじゃないか、と。そういう自分に気づいて「ああ、ずいぶんと価値観が変わったものだなあ」と思ったりします。
——そうやって肩の力が抜けたことが、一周回って、漫画の表現にプラスに働いていると感じるところはありますか?
ああ、それはある気がします。表現の幅は以前より広がったかもしれません。やったことのないギャグ、表現をやってみようというチャレンジ精神が出てきたというか。
それまでは、ぼく自身が一番面白いと思うパターン・構図・見せ方を考えていたと思うんです。でも「一番」というからには、それは1種類。だから延々と繰り返すことになる。そうするときっと読者は飽きてしまいますよね。
一番得意なかたちだけをずっと繰り返すというのでは、漫画家は短命で終わってしまうんだと思う。そういう意味では、病気がきっかけで変なこだわりを捨てたことが、表現の幅を広げることになり、結果として漫画家としての寿命を延ばすことになったと言えなくもない気がします。
人の笑いに捧げる人生は幸せか
——すべては、今日初めて本を手に取った若い読者の笑いのため。その姿勢を徹底して貫いてきたからこそ、『でんぢゃらすじーさん』の「不謹慎な笑い」は受け入れられ続けているのだと感じました。失礼を承知であえて伺いますが、そこまでストイックに人の笑いに捧げる人生は幸せですか? 辛いと感じることはないのですか?
自分は本当に漫画が好きだったので……。21歳でプロになるまでは、とにかく漫画家になることだけを考えて生きていました。高校はデザイン系。部活も漫画部。「漫画家になるためにはどうすればいいか」が、すべての土台にありました。
そうしてありがたいことに漫画家になることができた。20年も愛される連載を持つことができた。だから辛いと思ったことは一度もないんです。
漫画家以外のことなんて、なにもできない人間なんですよ。スーパーマーケット、ファストフード店……たった一日で辞めたアルバイトがいくつもあります。ストレスに弱い、嫌なことは耐えられない人間なんです。
そういう意味では、漫画家という仕事はすごく合っていたのだと思います。毎日決まった時間に起きなくていいし、人と会わなくたっていい。どれも社会人としては当たり前のことですけど、そういうことを辛いと思う人間だから。
——では、死ぬまで現役でいたい?
目指すところはそこですね。でも、自分でいくらそう言ったところで、読者がぼくを必要としなかったら、それは叶わないこと。1日も長くこの世界に居続けられるように、これからも頑張っていきたいですね。
——だから今日も小学生を笑わせるために筆をとり、「じーさん」を殺すんですね。では最後に、そんな曽山さんにとっての理想の死とは?
コロコロコミックは今年で45周年。100周年までは、あと55年。そのとき、ぼくは98歳になります。
100周年の際には小学館にはぜひ、神保町の道路を全部封鎖してパレードを、とお願いしたいです。そのパレードを上から見ながら死ぬというのが、「じーさん」に人生を捧げてきたぼくの理想の死です。
漫画家
曽山一寿
昭和53年9月24日、東京都に生まれる。平成12年、「ぼくのおじいちゃん」で第47回小学館新人コミック大賞児童部門佳作を受賞。平成12年、「絶体絶命でんぢゃらすじーさん」(別冊コロコロコミック)でデビュー。代表作「絶体絶命でんぢゃらすじーさん」「わざぼー」「みかくにん ゆーほーくん」「でんぢゃらすじーさん邪」「でんぢゃらすじーさん特別編 でんぢゃらす王国」「神たま」ほか。第50回小学館漫画賞(児童部門)受賞。
Twitter:@soyamanga
Instagram:@soya_manga
写真:本永創太
執筆:鈴木陸夫
編集:日向コイケ(Huuuu)